こんにちは!山田です。
今回は子どもの生きづらさについての記事を発見して、私が最近抱いている疑問について自分なりに考えてみました!
私が読んだ記事は、「不登校」「いじめ」子どもの生きづらさへの社会的関心が1年で2倍超える【調査結果】です!
どうしてこの記事が目に止まったかというと、最近作成したレポートでもある私の大学での研究テーマにリンクしているからです。私は子どもの「生きづらさ」に注目しており、子どもが「生きづらさ」を解消していくためにはどのような施策が最善なのかを研究しています。
そもそも何で、私が子どもの「生きづらさ」に注目しているのかというと、理由は二つあります。
一つ目は、自分自身が“いじめ”のようなこと、“不登校”、家庭のこと、対人関係、経済的なこと、たくさん自分が「生きづらさ」を感じてきたからこそ、同じように「生きづらさ」を抱える子どもたちに自分のできることで貢献したいと思ったからです。
二つ目は、実は自分自身を一番成長させてくれた「生きづらさ」をただの「生きづらさ」のまま終わらせるのではなく、“成長”に繋げるための施策を見つけるためです。
私だけに限らず、誰しもが何かしらの場面で「生きづらさ」を感じて生きてきたのではないかと思います。
そんな「生きづらさ」について、最近私が持っている疑問は、子どもの「生きづらさ」を本当に取り払えるのは親でも先生でも、地域の大人でもなく、本人自身なのではないか。ということです。
“「生きづらさ」があるから、成長するのか。成長しようとするから「生きづらさ」を感じるのか。”
私は「生きづらさ」と人の“成長”は大きく関わっていると思っています。それは、私自身が「生きづらさ」の中でもがいていた時、確かに辛かったけれどそれ以上に今の自分に繋がっているような気がするからです。「生きづらさ」を脱却したくて、もがいていた昔の自分。今は、成長するためにもがいて、「生きづらさ」を感じることもあります。
自分で失敗して、成功して、苦しんで、喜んで“成長”する。その過程に「生きづらさ」が存在する。
私は考えます。大人が子どもの「生きづらさ」を解消するために動くだけでは、本当に「生きづらさ」を取り払うことは出来ない。子ども自身が「生きづらさ」と向き合い、もがくことが本当の「生きづらさ」解消なのではないか。“成長”なのではないか、と。そのサポートを、支援をすることが大人の役割なのじゃないかと。
子どもの「生きづらさ」に興味関心を抱く人が増えていることが、この記事から分かったことで自身の研究への意識も高まりました。大学で私も自身の「生きづらさ」と向き合いつつ、“成長”に繋げられるように、今を、これからを必死に生きていきたいと思います。
命を絶ってしまう子どもたちが、その選択肢を取らなくて済む環境を作りたいなぁ。
と、つらつらと感じたことを気ままに書いてみました。
それでは、また〜!!