スタバで隣に座った高校生たち
たまたま空いた窓際の席に座った午後。
隣には、高校の制服を着た3人組の女の子たち。
フラペチーノをストローでかき混ぜながら、こんな会話をしていました。
「ねえ、将来何したいとか、決めてる?」
「…全然。決めなきゃいけないのかなって思って焦るけど…」
私はその言葉に、思わず耳が止まりました。
決めきれないのは、怠けているからじゃない
迷ってるって、ちゃんと考えている証拠なんですよね。
「なんとなくで進学したくない」って、ほんとはすごく勇気のいる選択。
でもそれを大人が
「ちゃんと決めなさい」「何になりたいの?」って言ってしまったら…
その迷いを否定された気持ちになってしまうかもしれない。
問いのない日常に、問いを立てる力
ポテトをつまみながらの彼女たちの会話は、まぎれもない“探究”でした。
目の前にあるものを疑問に思って、言葉にして、誰かと話す。
大人ができるのは、“問い”を潰さないこと
その子たちは、答えを急がず、考え続けていました。
私たち大人にできるのは、それをせかさず、見守ることなんじゃないかと思います。
「まだわからないんだよね」
そんな一言に、「それでいいんだよ」と返してあげられる存在でありたい。
まとめ:問いを持つって、すごいこと
- 迷ってる=考えている
- モヤモヤ=問いの始まり
- 大人の役目=せかさず、潰さず、対話すること
スタバの午後、ポテトの向こうに見えたのは、
答えよりも“問い”を大事にする学びのカタチでした。