改めて自己紹介と指導への想い

どんな人間がこの記事を書いているのか、改めてお伝えしておきます。

自己紹介なんて、サクッと書けるだろうと思ってました。
経歴とか、今やってることとか、教育に関わってますよ、とか。

でも書き始めたら、止まらなくなったんです。
気づいたら、“うっかり”人生の棚卸しみたいになっていました。

それだけ、「立ち止まって振り返る」ってことを、これまであまりしてこなかったんだと思います。

順調に見えていた社会人時代。
心が壊れたときの話。
それでも、教育に戻ってきた理由。

ちょっと長いですが、人間くさい話です。
もしよければお付き合いください。

私は現在、教育に関わる仕事をしています。
総合型選抜(旧AO入試)の指導、探究学習の伴走、塾の運営(全教科対応)、部活動のコーチ。
現代文・英語・生物など、受験科目の指導にも携わってきました。

形式的に言えば、「教育者」や「進路指導者」と呼ばれるのかもしれません。

でも、私はただ教えるのではなく、
「どう考えるか」を一緒に設計することに意味があると感じています

1.私は教育に携わる仕事をしています

まずここでは、私が大切にしている教育観についてお話しさせてください。

独立してから、映像制作を軸に始めた時期もありました。
でも、いろんな世界を経験してみて、
やっぱり自分のなかで一番大切だったのは「人」でした。

「教育」という営みは、ずっと自分の中から消えなかったキーワードです。

その原体験は、大学時代の予備校非常勤講師としての経験でした。
当時の私は、「成長=資格を取ること」「スキルを積むこと」くらいの想像力しかありませんでした。でも、ある人との出会いが、それを一変させました。

自分が変わるのも、人が変わっていくのを見るのも嬉しく楽しくもあり、
毎回自身にも学びや発見、反省があります。

教育の本質は、自己との対話だと思っています。

学力を上げることも、志望理由書を書くことも、面接で言葉を交わすことも、
日常的なコミュニケーションも、すべては
「自分は何を大事にしたいのか」「なぜそう思うのか」と向き合うプロセスだと考えています。

だから私は、「やりたいことが分からない」と言う生徒に、
“それっぽい進路”を提案するのではなく、

「なぜ“分からない”と感じているのか?」
「何が怖いのか?」「何に引っかかっているのか?」

そんなふうに、“問いの種”を一緒に探すことを大切にしています。

ここで言う「問い」とは、難解な哲学でも正解のある質問でもありません。

・ふと感じた違和感
・なぜか気になってしまうこと
・上手く説明できないこだわりや引っかかり
・嫌悪感や憧れといった曖昧な感情

そういった、まだ輪郭の定まらない“心のひと粒”のようなものを、私は便宜上「問い」と呼んでいます。

私は、教育には「再現性」が必要だと思っています。
なぜなら、それが“人の可能性”に対する誠実さだからです。

偶然の成功や感覚的な声かけは、その場では響くかもしれません。
でも、それが“本人にとって再現できない成長”なら、それは運任せにすぎません。

教育は、積み木のようなものだと感じています。

自由な発想や深い対話も、良い関係性も、
しっかりとした構造と土台がなければ、すぐに揺らぎ、崩れてしまいます。

「答えのない問いに向き合う力が大切」──
そう語られる教育現場が、ここ数年で本当に増えました。

たしかにその通りだと思います。
ただ、現場でその言葉が「免罪符」のように使われている場面に、私は何度も出会ってきました。

「答えがないから、一緒に考えよう」
「あなたの中にある答えが正解だよ」
「自由に考えていいよ」

これらの言葉には、やさしさがある。共感もある。否定する気はありません。
けれど、そのやさしさの奥に、“思考の責任を放棄している空気”を感じるのです。

私は、答えが“ない”わけではないと思っています。
正確には、「人によって、その都度、答えの“つくり方”が異なる」というだけです。

だからこそ本当に必要なのは、
“考え方の型”や、“自分の軸を見つける視点”です。

そしてそれは感覚や偶然に委ねるものではありません。

・経験や習慣
・思考の癖
・言語化されていない価値観
・育った環境や、身体感覚レベルの反応

こういった要因をひとつひとつ丁寧に見つめ、
自分の中で「なぜそう思うのか」「なぜそれが引っかかるのか」を掘り下げ
感覚を言葉に変え、バラバラだった要素に因果や意味を見出して、
自分なりの“思考の構造”として組み立て直すこと。

それが、私の考える“問いに向き合う力”の実践であり、
そのプロセスに、教育の本質があると思っています。

私はこれまで、「答えがない問いに向き合うことが大事」と語る現場を、たくさん見てきました。

でも、それがただの「投げっぱなし」や「思考停止」の言い訳になっていないか、
と疑心暗鬼になることもあります。

「答えがないから一緒に考えよう。」その言葉自体は否定しません。
でも、それだけなら教育者でなくてもできる。友達でも、雑談でも成立します。

教育者である以上、必要なのは構造です。指針です。仮説です。

「どう考えれば、自分なりの答えを導けるのか」
「どう問いを立て、言語化し、選べるようになるのか」

そのプロセスを再現性のあるかたちで提案すること。
それが教育者の役割だと思っています。

現場でよく見かけるのは、
指針や理論を持たないまま、感覚的に子どもと関わり、
たまたま通じた言葉を「自分のセンス」だと勘違いしてしまう人たち。

それは教育ではありません。“その場しのぎの感情処理”にすぎない。

教育とは、「癒す」ことでも「聴く」ことでもない。
子どもが“変わっていける土台”を、構造的に築いていく営みだと思うわけです。

だから私は、学び続けています。

・心理と発達
・社会構造と経済
・行動経済学とマーケティング
・科学的思考の型

・・・など。深める領域は人によって異なりますが、
知の土台を自分の中に持ってこそ、子どもに仮説を立て、
適切な支援を検証し、変化を意図的に支えることができるものだと信じています。

曖昧だからこそ、軸が必要。
答えがないからこそ、構造が必要。
自由だからこそ、地図が必要。

私は、教育に関わるすべての人に、そうした視点と構造を持っていてほしいと願っています。
そして、自分自身もそれができているかを、常に問い続けていきます。

私が関わっている教育の中には、「キャリア教育」と呼ばれる分野もあります。
ただ正直に言うと、これもまた“ふわっと”していて、属人的なものになってしまっている現場が多いような気がしています。

職業説明会や社会人との交流、ワークショップなど、取り組みとしては悪くない。
けれど、それらが“単発のイベント”で終わってしまっては、意味がありません。

大切なのは、「点」を並べることではなく、それらを「線」として、自分の中でつなげていくことです。

そもそも、「進路を決める」というのは、“将来の職業を一つに決めること”ではありません。

本当の意味でのキャリア教育とは、
「自分という人間を、適切に扱えるようになる」ための訓練だと思っています。

・どんなときに、自分の感情が動くのか
・どういう価値観で、物事を選んでいるのか
・苦手な状況では、自分がどう反応するのか
・どんな環境で、自分はパフォーマンスを発揮できるのか

これらを知ることが、探究であり、問いであり、私の考える教育の核です。

2.社会人キャリア、壊れた瞬間

社会人としてのスタートは、順調でした。

大手旅行会社に入社し、法人営業でトップ成績を収め、全国表彰も経験しました。
その後は海外駐在や新規事業の立ち上げにも関わり、キャリアとしてはそれなりに“順風満帆”に見えていたと思います。

でも、振り返ってみると自分で自分の人生を選んでいた実感はなく、
“自分の中に、判断軸が何もなかった”ということに後から気づきました。

私は、軸を持たずに走っていました。

・「やるべきだから」やる
・「数字を出すのが当たり前だから」出す
・「周りより動いているか、成果が出ているか」だけが自己評価基準

効率的に、期待通りに、黙々と成果を積み上げる。
それしか“頑張り方”を知らなかった。

「なぜやるのか?」「自分にとって大事なのか?」みたいな視点は一切なかったです。
ただ周囲の期待に応えることが目的になっていました。

動く量だけでいえば、周りの3倍は働いていたと思います。
誰よりも早く出社して、誰よりも遅く帰る。
年末年始も働く。祝日も関係ない。
成果こそが、自分の存在証明だと信じていたからです。

成果を出す=認めてもらえる
認められる=必要とされる
必要とされる=生きていていい理由になる

そんなふうに、自己価値が完全に“他者の評価”に依存していました。

とても危うい状態だなと思います。
だけど、成果を出しているうちは、その危うさには気づけない。

27歳か28歳のある日、ふとまわりを見渡しました。
友人たちは結婚し、子どもが生まれ、進んでいっているように見えました。

一方の自分は、成果は出しているはずなのに、自分の人生を生きていない。
結婚や子供に対する願望とは違うのですが、なんせ焦りました。

「この仕事、あと40年やり続けるのか?」
「そもそも、自分ってなんでこれをやってるんだっけ?」
「これは自分が本当に望んでる人生なのか?」

改めてそう考え始めたとき、心のバランスが徐々に崩れていきました。

身体もサインを出していました。

当時75kgほどだった体重が、最後の3ヶ月で一気に93kgまで増えました。
体重計が壊れているのかと思いました。別の場所で測っても、やっぱり93kg。

そのとき初めて、「自分の身体がおかしいかもしれない」と、冷静になりました。

私は当時まで、「自分が鬱になるわけがない」と思っていました。
体力もあるし、楽観的な思考だから。

「鬱なんて、メンタルが弱い人がなるものだろ。」と軽く思ってました。

でも、違いました。鬱は、強い弱いではなく、
支えがない状態が続いた結果、心身が限界を超えたときに起こる現象なんだ、と理解しました。

周りに頼れる人がいない。感情を言葉にできない。
無意識に「こうしなきゃ」と自分を追い詰めてる。
逃げ道がない。でも、止まることも許せない。

そんな状態が続いた結果、ある日、身体が命令を拒否するようになりました。

・朝起き上がれない
・会話ができない
・楽しいと感じない
・未来が見えない
・思考がまとまらない

頑張ろうとしても、身体が動かない。歩いてもすぐに座り込んでしまう
想像していたようなメンタルの問題ではなく、物理的な故障のようでした。

もちろんその間仕事は出来ないし成果は出せない、
つまり誰にも認めてもらうことが出来ない(と感じていた)。

「ああ、生きてても意味ない。死のう。」そう思いました。

全部がどうでもよくなり、連絡先をすべて消しました。
会社の人とも連絡が取れないようにしました。
そもそもこの頃はもう仕事以外の関係なんて、残っていなかったのですが。

でも、死ぬ勇気もなかったです。だから生きました。めちゃくちゃ惨めな気持ちになりました。

そこから回復には時間がかかりました。
でも、そこではじめて本気で自分に向き合えた気がします。

「自分にとって、幸せとは何か?」

出てきた答えは、意外にもシンプルでした。
「深い人間関係」と、「学びと刺激のある環境」さえあれば、自分は豊かさを感じられる。
これが私にとっての幸せの仮説でした。

身体も整えていきました。
1日1300kcalに制限して、2年かけて78kgまで戻しました。
趣味でもあり仕事でもあるバスケや、格闘技にも復帰して、今では72kg。

年齢を重ねるほど、メンテナンスの大切さを痛感しています。

もし今のあなたが

忙しくても、頑張れてるから大丈夫

評価されているから、たぶん間違ってない

そう思っていたとしたら。
一度だけ、立ち止まって自分の声を聞いてほしいと思います。

あなたの頑張りは、「誰かの期待」を生きていないか?
“自分自身”という土台を持たずに、走り続けていないか?

私は、壊れてから問いを持ちました。
でも本当はもっと前に、問いを持ち、本気で考えるべきだったんです。

だから今、関わる誰かには、あのときの自分のようになってほしくないと思って
教育に携わっています。

3.全部やってみて、やっぱり教育が残った

少しずつ回復しはじめた頃、私は決めました。
「これからは、自分の興味や価値観に正直に生きてみよう」と。

それまでの私は、“ちゃんとしてる”という評価を得るために生きていました。
「やりたいこと」よりも、「やるべきこと」を優先してきた人生でした。

運よくもう一度生きられたので、ここからは違う生き方をしてみたかった。

興味があることは、全部やってみよう。
違ったらやめればいい。面白いと思えるものに出会いたい。

そう決めて、実際にいろいろなことに挑戦しました。

映像制作に関わって、表現の面白さと構造を学び

セールスやマーケティングの現場で、人の心の動き方を体感し

地方創生プロジェクトに関わって、地域の課題と自分の関心の“ズレ”を知り

格闘技を趣味として再開し、「上達することの楽しさ」を再発見しました

どれも、その後の自分を形づくる“部品”のようなものです。

でも、どうしても一番心が動いたのは、やっぱり「教育」でした。

人の思考や価値観、もっと言うと人生が変化していく過程を、
すぐそばで見られることが面白いからです。
教育ほど、人が変わる瞬間に立ち会える仕事はないです。

そしてそれは、かつての自分が体験したことでもあります。

大学生の頃、私は予備校の非常勤講師をしていました。
そのときに出会った、ある予備校の社長がいます。

今の言葉で言えば「ガチでストーキングしてた」って言っても過言じゃないレベルでした。

毎晩、授業終わりに質問を携えて突撃。
その人の話すことすべてが面白くて、つい長話になってしまう。
でも、止められなかった。

その人の考え方、伝え方、人との関わり方、成果へのこだわり、生き方そのものに惹かれていました。

関われば関わるほど、こう思うようになりました。

人って、「考え方」が変わると、「生き方」まで変わるんだ。

これが、私の教育観の原点です。

目の前の生徒の点数が上がるとか、志望校に受かるとか、もちろん大事です。
でも、もっと奥にある──

・価値観の更新
・思考の言語化
・行動の変容
・習慣の積み重ね
・結果としての人生の軌道修正

この「変化の階段」が、教育という営みの中にはある。
そう確信できたからこそ、「これは一生関わっていきたい分野だ」と思えたんです。

教育とは、誰かが“自分の人生を取り戻していくプロセス”に立ち会える仕事です。

「価値観」→「思考」→「行動」→「習慣」→「人生」

その変化の最初の火種が、“問い”なんです。問いを皮切りに、

考え方が変わり、行動が変わり、習慣が変わり、見える景色が変わる。

なぜそう思ったの?
本当は何を大切にしたいと思っているの?
どうして、それが気になったんだろう?

その問いを一緒に立ち上げて、
言葉にして、行動に落とし込み、人生に反映させていく。
私は、その設計と伴走ができる教育者でありたいと思っています。

今、私は教育に関わっていますが、
それは“学校”という制度や、“受験”という枠組みの話だけではありません。

人が、自分の軸や輪郭を見つけていくこと。
他者との関係性を、自分なりに編み直していくこと。
社会との接点を、自分の選び方で築いていくこと。

そのすべてが、教育です。
そして、それらの出発点になるのが「問い」だと思っています。

私は、今あらためて問いの傍らにいます。
それは、かつて壊れた自分を立て直してくれたものであり、
これから誰かが自分の人生を選び直していくときの軸となり、
確かな“羅針盤”にもなり得ると信じているからです。

4.鬱とともに生きる

社会人として壊れ、鬱と診断されたあの頃から、もう何年も経ちました。
今こうして教育の仕事をし、文章を書き、人と話し、笑うこともできています。

でも、「完全に治った」なんて、今でもとても言えません。

いまも、全部がどうでもよくなる時期があります。

長いと3ヶ月、短くても2週間くらい。
何をしていても意味がないように感じる。
人と会いたくない。SNSも見たくない。
返信もできない。やる気も出ない。

すべてが、遠くにあるような感覚になることがあります。

頭では「動かなきゃ」「やらなきゃ」と分かっている。
でも身体が反応しない。自分を責めると余計沼にはまることも分かっている。
ショック療法で直るような甘いものでもない。

昔の自分だったら、それを「怠け」や「甘え」と呼んでいたかもしれません。
でも、違いました。“心の弱さ”ではなく、“身体のノイズ”なんです。

鬱を経験して初めて知ったのは、
メンタルの病は「心」からではなく、「身体」から始まることもある、ということでした。

心が壊れる前に、身体がサインを出してくれていた。
でも私は、それをずっと無視していた。

私は今のこの状態と向き合う中で、少しずつ「自分用のメンテナンス方法」を見つけてきました。

・運動すること(バスケ・格闘技)
・予定を詰め込みすぎないこと
・思考や感情を言語化すること
・人と比較しないこと
・動けないときは、せめて本を読むこと

とくに読書は、「何もできなかった自分」に対して言い訳できる方法として機能しました。

「今日は動けなかったけど、本は読んだ」
「この時間は、自分にとって意味があったかもしれない」

そうやって、自責を回避するための“逃げ道”としての読書。

でもそれは、ちゃんと自分を救う選択だったと思っています。

私は今も、「完全に元通りになる」ことを目指していません。

気分や体調に波があることは、前提。
その前提のうえで、「今日はどこまでならできるか」を探す。

無理して全部を取り戻さない。
今の自分でできる範囲を、誠実にやる。

そう決めてから、少しずつ呼吸がしやすくなった気がします。

あの頃死のうとして死ねなかった私が、
今こうして文章を書いたりしている。

それって、十分すごくて、ありがたいことだなと思っています。

・完全に回復しなくてもいい
・昔のように動けなくてもいい
・心が揺らぐ日があってもいい

それでも、自分の輪郭を失わずに生きていける。
これもまた自身のアイデンティティの一部だと思っています。

5.なぜ私は教育に戻ったのか

なぜいま、教育に関わっているのか。

ただ「正しい答え」を教えたいからでも、
「こうすれば成功するよ」と伝えたいからでもありません。

私が伝えたいのは、“選び直す力”と、“選択を正解にしていく力”です。

社会や他人の期待をなぞるのではなく、
自分の価値観や感覚で、自分にとっての選択肢を選びなおす力。

私は、それを知らなかったから、遠回りしたし、壊れもしました。
だからこそ伝えたいし、伝えられることがあると信じています。

自分の中にある違和感や興味、モヤモヤ。
それらをはじめから正しく理解する必要はありません。

仮でいいんです。
完璧じゃなくていい。曖昧なままでもいい。
「とりあえず、これが気になるかも」から始めていい。

大切なのは、それを自分の言葉で掘ってみること。

一つのテーマを深く掘れた人は、
その後どんな場所に進んでも、ちゃんと自分の視点で同程度の深さで問いと仮説を持てる。

今の時代、「やりたいことが決まらない」ことは珍しくありません。
でも、だからといって「とりあえず全部やっておこう」としても、
結局どれも掘りきれず、手応えのないまま時間が過ぎていきます。

一度、自分の違和感を軸にして、深く潜ってみると、
他の場所にも“潜る視点”が自然と育っていく。

これは、自分の人生を掘り返してきたからこそ、確信を持って言えることです。

私たちは、日々たくさんの情報や意見にさらされています。
誰かの幸せそうな報告、誰かの成功体験、誰かの価値観、誰かの正解。

でも、そこに振り回されすぎると、自分を深めにくくなっていく。

だからこそ、自分自身にこう言えるようになってほしいと思うんです。

・自分の弱さが分かるのは、向き合ってきた証
・失敗も含めて自分の強さであり、自信を持っていい
・違う人がいることは当たり前
・合わない人や苦手な人がいても、それが普通

そしてそんな視点を相手にも持ち、世界を許せる目線を持ってほしい。
そして、本当に大事なことに、自分の目で気づいてほしいんです。

ただし甘やかしとは違います。
自分の感情や思考を疑い、他人の言葉を鵜呑みにせず、
一歩引いて「本当にそうか?」と見つめ直す俯瞰の視点もあわせて育ててほしいです。

他者に優しく、自分には誠実に。
柔らかさと冷静さの両方を持てる人は、どんな世界にいても、
自分の軸を失わずに生きていけるはずです。

世の中は、ますます複雑に見えるようになっていきます。
情報も、意見も、正義も、多すぎて選びきれない人が増えている。

その中で本当に必要なのは、「正しい選択肢」のように単純じゃない。
「自分で選びなおす力」と、「選んだものを正解にしていく力」。

その両方を持てることが、
これからの人生にとって、なによりの武器になると信じています。

私はそれを支える教育をしたい。だから教育の仕事を続けています。

6.自分の輪郭を取り戻した記録

ここまで綴ってきたのは、華やかな経歴でも、成功体験でもありません。
むしろ、「うまくいっているように見えて、自分の感覚を置き去りにしていた人間」の話です。

私はずっと、正しい答え”を探していました。
誰かに認められる働き方とか、間違いのない進路とか、幸せそうに見える選択とか。

でも、たぶん、ほんとうに必要だったのは「自分の輪郭」だったんだと思います。

周りと比べてばかりいた自分。
気づいたら、何が好きで、何が嫌いで、何を大切にしていたかすら、わからなくなっていました。

壊れて、全部いったん、どうでもよくなって。そこからまた、拾い集めて、書き直して、
「これが自分かもしれない」と思える形を、探してきました。

何者かになるためじゃなく、何者だったかを取り戻すために、問いと言葉を積み重ねてきました。

同じように、自分の中の違和感やモヤモヤを抱えている誰かに、
同じように、自分の輪郭を見失いかけている誰かに、この言葉が届いたらいいなと思っています。

これを読んでくれたあなたにとって、
自分の輪郭をほんの少しでも浮かび上がらせるきっかけになっていたら、とても嬉しいです。

もしあなたにも、まだ言葉になっていない感覚があるなら、
それはきっと、「選びなおす力」や「選択を正解にしていく力」に変わっていきます。
だから、焦らなくていい。急がなくていい。丁寧に、誠実に。

「ほんとはどうしたい?」
「いま、どこにいたい?」
「これって、自分にとって意味ある?」

そんな問いを抱え、私もまだまだこれから、迷いながら揺らぎながら進んでいきます。
それが自分で選んで生きるということなんじゃないかな~とも思います。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。