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映画から学ぶ「誰かにメッセージを届ける」ということ

こんにちは。

皆さんは映画とか見ますかね?

私は映画を観ながら用事を進めることが多々あるのですが、面白い邦画を見つけました。

「怪物」という安藤サクラさん主演の社会派の映画です。

Amazon Prime Videoで見れるので。興味あれば是非。

お察しの通りテーマは少し重いですが、構成の工夫でテンポよく見られました。

社会派の作品は単調なテンポに耐えられず途中離脱してしまうことも多い私も、用事の手を止めて見ておりました。

見た後に良くまとめられていると感じたレビューを載せます。(若干のネタバレも含むので、見たくない人は飛ばしてください!)

『怪物』が問いかけるもの:美しい音楽と不気味な余白の共演

坂本龍一の美しい音楽がどのようにストーリーと結びつくのか――そんな興味を抱いて観た『怪物』。
キャストと演出は申し分ないものの、物語そのものにはどうしても共感しきれない部分がありました。

特に安藤サクラの運転する車のシーンは、何ともいえない迫力があり、不安感を煽る演出が印象的でした。
また、瑛太が女子生徒と猫が死んでいた場所に立つシーンでは、壁に手形が残されており、不気味な空気感が画面を支配します。
これらの演出は非常に優れており、物語の雰囲気作りに一役買っています。

一方で、本作のラストシーンに関する解釈にはさまざまな意見があります。
他の方々が「ラストシーンは監督が“生きている”と明言している」や「ヨリは放火していない」と述べているのを見かけましたが、
それは美しい側面だけを見ようとする偏った解釈だと感じます。監督が明言していない部分こそが本作の「余白」であり、
この余白こそが『怪物』という作品に深みを与えているのではないでしょうか。

本作は3つの視点で構成されています。
1. 安藤サクラの視点
彼女にとっての「怪物」は教職員であり、息子・ミナトをいじめている疑惑のあるヨリです。
ヨリは終始「良い子」であり続けるものの、その態度がかえって不気味に感じられます。

2. 瑛太の視点
彼にとっての「怪物」は、学校側の校長や教頭、さらには真実を追い求めるマスコミ。親と、生徒たちの中に潜む闇。

3. ミナトの視点
彼にとっての「怪物」は、「一般常識」と呼ばれるものそのものです。LGBTとして生きるミナトにとって、
世間一般の「普通」という価値観が何よりも重く、強くのしかかる怪物となっています。

『怪物』というタイトルが示すもの。それは、観る者に「怪物はだれなのか?」と問いかけ、解釈を委ねる構造そのものです。
キャラクターたちの誰もが他者から見れば「怪物」に映り得ると同時に、彼ら自身が抱える心の中の「怪物」にも目を向ける必要がある

真実を知りたいと願いながらも、作品が用意した余白をどう埋めるかは観客次第。
この余韻こそが、本作を観る上での最大の魅力ではないでしょうか。

なんでこれをここで書こうかと思ったのかというと

諸所の問題のきっかけは、各々の事実認識の差で、そこから沼のようにハマって

それぞれの先入観や主観が入り込んで物事が悪い方に転がっていく・・・という大きな流れを描いていた映画でした。

これは現実世界でもよくあることだ思います。

私自身、学生時代にいわれもない噂などで何度かトラブルに巻き込まれました。

仕事でも、なぜか誰かの責任を取らされそうになったり、手柄を取られそうになったりしたこともありました。

私自身の視点からだけ考えていた時は、

当時の友人には腹が立ってたし、上司や会社にも不満を持ちました。

でも、俯瞰的に見ると私自身の伝え方や表現の詰めが甘くて起こったという側面もゼロではないんですよね。

そうした自身の反省を思い起こさせてくれる作品でした。

私は学生を卒業して働くまで、人前で話したり発表することに苦手意識が強かったです。

論理的に話を組み立てることも、相手の立場や状況を踏まえて認識の齟齬を出来るだけ減らしながら話すことも、

失敗しまくりながら我流でコミュニケーションを改善していき、いつの間にか本を読んだりして沢山の要素や要因の存在に気づきました。

細々した要素や要因は無数にあるし、把握しきれないですが、

そこにさらにセルフコントロールの概念を組み合わせて、「自分の行動によって影響を与えられるところ」をに焦点を絞ってみると、

そんなに複雑でもなくなってきます。

孫氏の「敵を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉が物語っているように

・伝える相手は誰なのか

・自分の価値は何なのか

それらを踏まえて

・伝えるべきことは何なのか

・最適な伝え方はどうなのか

この辺りを抑えていくと問題は生じにくいと実感しています。

「学生時代に教えておいてほしかったな~」

「我流の頃は自己分析に傾倒して失敗しまくったな~」

「学ぶ糸口を探すスタート地点に立つまで時間浪費したな~」

「あとの世代の人は同じような時間の使い方はしなくてもいいようにしたいな」

というのが私の教育観の根本です。

もちろん失敗したからこそ深く学べるという側面はあると思うし、

情報として知るだけでは形骸化する。

だから転んでも素早く起き上がれるレジリエンスや周囲のサポートが重要で

それを実践するのには総合型選抜対策がちょうどいいんですよね。

学生側にも学ぶ必然性があるから。

次に「伝えること」について考えるのは多くの人は就活になるのではないかなと思うのですが、

高校生時点で大枠を理解していると適応のスピードはきっと変わってきますよね。

と、そんなことを考えるきっかけになった映画でした。

ではでは!

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